『千古の愛、天上の詩』第31話 あらすじ/ネタバレ

清穆(せいぼく)が古君(こくん)のために料理をする心温まるシーンの中、後池 (こうち)は細やかな心遣いで古君(こくん)の食事の世話をする。古君(こくん)はこれが最後の食事になるかもしれないと悟り、悔いなく思いっきり食べる。古君(こくん)の喜びを見て、後池 (こうち)も心から喜ぶ。しかし、古君(こくん)は清穆(せいぼく)に10個の輝く夜明珠を贈り、清池宮を去るように促す。清穆(せいぼく)は後池 (こうち)への深い愛情を再び告白するが、拒絶され、鳳染(ほうせん)に見送られて落胆して去る。

古君は二人の仲を頑なに反対しており、後池 (こうち)は困惑し、その理由を尋ねる。しかし、古君はただ苦しそうに答えるだけだった。

後池 (こうち)の問いかけに、古君はついに心を開き、自分の身の上を明かす。後池 (こうち)の体には、6万年前の大惨事で古君が畢生の神力で守った上古(じょうこ)の遺霊が宿っているという。神識が弱いため、古君は千年もの間、華浄池で大切に育て、後池 (こうち)を誕生させた。一方、柏玄(はくげん)は上古(じょうこ)の神識を封印するのを手伝っただけの平凡な仙君だった。古君は上古(じょうこ)の遺言に従い、来世では神としての束縛から解放されることを願って、上古(じょうこ)の神識を封印したのだという。

真実を知った後池 (こうち)は、自分が他人の願いを叶えるための存在に過ぎず、自分の価値は何もないのではないかと感じ、周りの愛情さえも疑うようになる。すべては上古(じょうこ)の名声のためであり、自分はただの笑いものに過ぎないのではないかと考える。

意気消沈した後池 (こうち)は、清池宮を後にし、涙ながらに別れを告げる。清穆(せいぼく)は、古君と口論になったと思い、慰めようとする。しかし、後池 (こうち)は冷静に清穆(せいぼく)に自分の気持ちを確認する。清穆は迷わず千年の愛を告白する。しかし、後池 (こうち)が自分が好きなのか、それとも体内の神識が好きなのかと問うと、清穆は答えられず、後池 (こうち)は心を痛めて去っていく。

そこに古君が現れ、後池 (こうち)の正体を明かし、清穆に自分の気持ちをよく考えるように促す。そして、後池 (こうち)体内の神識が目覚めると記憶を失い、本体が消滅することを告げる。自分の正体を知らない清穆は、後池 (こうち)への気持ちに複雑な思いを抱く。

一方、鳳女(ほうじょ)は蕪浣(ぶかん)の命を受け、仙族の名のもとに妖族の争いを煽り、景陽(けいよう)を支援する。帝北城では、後池 (こうち)は城主の娘である白烁を助け、仙障を張って妖族の侵入を防ぐ。城主の感謝を得るとともに、人々の安寧を守るという重責を負うことになる。城内では子供が行方不明になる事件が頻発し、後池 (こうち)は城主と共に難局を乗り越えることを決意する。

清穆は帝北城にたどり着くが、後池 (こうち)がわざと会おうとしないことを知り、ただ黙って見守るしかない。城内の妖魔は三首火竜の配下であり、天帝(てんてい)の禁を破って人間界を侵犯している。後池 (こうち)は妖族内部に変化があると推測し、天啓(てんけい)に助けを求める。

暮光(ぼこう)は清池宮を訪れ、古君と天啓(てんけい)妖神の復活について話し合う。神界を再建して、再び三界に大惨事を起こさないようにするためだ。神界を再建するには四大神器が必要であり、太蒼槍はすでに清穆が所有しているが、日月戟は擎天柱に封印されており、簡単には手に入らない。暮光(ぼこう)は古君に清穆を連れて擎天柱に向かい、太蒼槍の力で日月戟の封印を解いてほしいと頼む。古君は暮光(ぼこう)とは旧怨があるものの、三界の安危を考え、承諾する。そして、鳳染(ほうせん)を人間界に派遣して清穆を呼び戻す。

暮光(ぼこう)は蕪浣(ぶかん)が勝手に景陽(けいよう)を支援したことに不満を表明し、二度とこのようなことをしないように厳しく戒める。しかし、蕪浣(ぶかん)の真の目的は、戦争を利用して煞気を吸収し、自分の神力を高めることであり、この千載一遇の機会を簡単に諦めるつもりはない。権力、愛、責任をめぐる複雑な葛藤が、三界に広がっていく。

第31話 感想

第31話は、衝撃的な展開が続いた回でした。古君の正体、後池 (こうち)の誕生の秘密、清穆の苦悩など、多くの謎が明らかになりました。

特に印象的だったのは、古君が後池 (こうち)に自分の正体を明かしたシーンです。古君が上古の遺霊を封印した理由、後池 (こうち)の誕生の経緯など、すべてを打ち明ける古君の心情は複雑だったと思います。また、後池 (こうち)が自分の存在意義に疑問を抱くシーンも、見ていて辛かったです。

一方で、清穆の後池 (こうち)への一途な想いは感動的でした。後池 (こうち)の体内の神識ではなく、後池 (こうち)自身を愛しているという清穆の言葉は、とても力強く響きました。

つづく