三国誌 秘密の皇帝 第53話 あらすじ/ネタバレ

許都(きょと)の緊張

許都(きょと)城内は緊張感に包まれていた。劉平(りゅうへい)の書斎には、関羽(かんう)が樊城で水攻めを行い、于禁を捕虜にして曹軍を壊滅させたという報告が舞い込んだ。関羽(かんう)の勢いは止まらず、許都(きょと)を直撃すると豪語したことで、朝野は不安に陥っていた。赤壁の戦いで敗北した曹操(そうそう)は、再び大きな打撃を受けた。重臣たちは、関羽(かんう)の次の動きや、曹操(そうそう)が天子を鄴城に移す可能性について議論を交わした。

劉平(りゅうへい)の決意

劉平(りゅうへい)は表情を曇らせていたが、落ち著いて対応した。彼は曹操(そうそう)への信頼を表明し、曹彰(そうしょう)に許都(きょと)を死守することを伝えた。しかし、劉平(りゅうへい)が最も心配していたのは曹操(そうそう)の病状だった。曹操(そうそう)の頭痛は悪化しており、もし倒れたら関羽(かんう)の猛攻を防ぐことができない。

劉平(りゅうへい)は曹節(そうせつ)を訪ね、曹操(そうそう)の病状を打ち明けた。彼は青囊経を学んでおり、曹操(そうそう)を治癒したいと語った。曹節(そうせつ)は疑念を抱いたが、劉平(りゅうへい)はかつて曹操(そうそう)を恨んだとしても、今は中原の民の安寧のために彼の回復を願っていることを告げた。

曹操(そうそう)の苦悩

曹操(そうそう)は病床で謀臣たちと対策を協議していた。重苦しい空気が漂っていたが、司馬懿(しばい)が呉と手を組む妙案を提案した。荊州は本来呉の領地であり、劉備(りゅうび)が返還せずにいた。さらに関羽(かんう)の傲慢な態度から、孫劉同盟は名目だけになっていると分析した。もし劉備(りゅうび)が樊城を攻略すれば、荊州を返すつもりはないだろう。孫権(そんけん)は劉備(りゅうび)の勢力拡大を黙って見過ごすことはない。曹操(そうそう)はこの策を高く評価し、曹丕(そうひ)に呉への使節を選出するよう命じた。

曹丕(そうひ)は司馬懿(しばい)の智謀に感謝したが、同時に彼の忠誠心を疑った。劉平(りゅうへい)について言及した際、劉平(りゅうへい)が曹節(そうせつ)を伴って現れた。曹節(そうせつ)は曹操(そうそう)に駆け寄り、曹操(そうそう)は慈愛に満ちた表情で彼女を抱きしめた。劉平(りゅうへい)は過去のわだかまりを忘れ、青囊経に基づいて開顱手術を行い、曹操(そうそう)の病を治癒すると申し出た。曹操(そうそう)は躊躇したが、劉平(りゅうへい)の誠意を感じて承諾した。

劉平(りゅうへい)と曹操(そうそう)の対話

曹操(そうそう)は余命が長くないことを悟り、劉平(りゅうへい)に対して敵意と敬意の両方を感じていた。乱世において、諸侯は領地を争っているが、劉平(りゅうへい)は統一を目指しており、最も手強い敵であると語った。劉平(りゅうへい)は再び協力して天下を統一しようと提案したが、曹操(そうそう)は人心は変わりやすく、自分にはもはや力がないと嘆いた。

劉平(りゅうへい)は曹操(そうそう)の寝宮を後にし、曹節(そうせつ)は父を説得しようとした。劉平(りゅうへい)は曹丕(そうひ)に近づき、曹操(そうそう)亡き後の情勢について話し合った。彼は曹丕(そうひ)との協力関係を模索したが、曹丕(そうひ)は曖昧な態度を示した。その後、劉平(りゅうへい)は司馬懿(しばい)と密会し、久々の再会に感慨に浸った。司馬懿(しばい)は劉平(りゅうへい)に曹操(そうそう)配下の親兵45万人の名簿を提供し、支援を約束した。

曹操(そうそう)の死と動乱の幕開け

間もなく、曹操(そうそう)と孫権(そんけん)が手を組み、関羽(かんう)を破ったという知らせが届いた。しかし、関羽(かんう)の死は多くの人々に衝撃を与えた。勝利の喜びは長く続かず、曹操(そうそう)は帰途についた際に病死した。劉平(りゅうへい)は諸侯たちと協議し、曹丕(そうひ)が情勢を掌握するのは難しいと判断した。曹彰(そうしょう)も虎視眈々と曹丕(そうひ)の座を狙っており、漢室が挙兵する好機と考えた。

曹丕(そうひ)は内憂外患に直面し、劉平(りゅうへい)との和平交渉を決断した。司馬懿(しばい)は中立を保ち、情勢の変化を見守った。

第53話の感想

第53話は、三国誌の物語が大きく動く重要なエピソードでした。関羽(かんう)の活躍、曹操の病、そして劉平(りゅうへい)の決意など、見どころ満載の内容でした。

特に印象に残ったのは、曹操と劉平(りゅうへい)の対話シーンです。曹操は劉平(りゅうへい)を最も手強い敵と認めながらも、彼に天下統一を託すような発言をしました。劉平(りゅうへい)は曹操の言葉に驚きながらも、曹操の病を治すために尽力することを誓いました。

また、司馬懿(しばい)の活躍も光っていました。彼は呉との同盟を提案し、曹操の病を治すために劉平に協力するなど、策士としての能力を遺憾なく発揮しました。

つづく