君子盟 第20話 あらすじ/ネタバレ

馬廉の罪と陳子殇の悲劇

名門望族出身の馬廉は、一時の気の迷いで科挙不正に手を染めてしまった。彼は高額の金で試験問題を購入できると信じていたが、それは誤った道への第一歩だった。陳子殇は馬廉との取引を拒否したため、激怒した馬廉は彼を殺害してしまった。馬廉によると、試験問題を売った人物は老いた船頭のような姿だったという。

張屏(ちょうへい)の調査と邵志の告白

事件は解決したが、蘭珏(らんかく)は鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)の追跡に苦戦していた。彼は張屏(ちょうへい)に試験答案の微かなカビ跡から不正の真相を暴くよう依頼した。張屏(ちょうへい)は一晩中考え抜いた末、文字が糯米と墨汁を混ぜて書かれていることに気づいた。これは粘着性が高く、カビが生えやすい性質を持つ。この発見により、楊伯と邵志の罪が明らかになった。楊伯は貧困のため、邵志の依頼を受けて不正を行ったことを認めた。邵志は高利貸の圧迫や両親の死など、背負っている重荷を明かし、その原因が戸部尚書?楚方同にあると告げた。楚方同の失脚は鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)の提供した証拠によるもので、邵志は鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)に感謝し、彼の駒となって科挙を操作し、大理寺卿・陶周風(とうしゅうふう)を陥れようとした。

陶周風(とうしゅうふう)への疑惑と鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)の目的

張屏(ちょうへい)の調査により、摩蘿村天譴事件の再審が陶周風(とうしゅうふう)によって行われたことが判明した。これにより、張屏(ちょうへい)は陶周風(とうしゅうふう)に疑念を抱き始める。蘭珏(らんかく)は陶周風(とうしゅうふう)を赦免することで、鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)の次の行動を誘い出すことを皇帝に提案した。しかし、その夜、張屏(ちょうへい)は不気味な埙の音で目を覚まし、陳籌(ちんちゅう)が香に眠らされているのを発見した。鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)が現れ、彼の目的は摩蘿族にあることを明かした。張屏(ちょうへい)は鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)が多くの事件を操り、暴力を用いて悪を罰しようとしていると推測した。しかし、張屏(ちょうへい)はどのような理由であっても、殺人が解決策になるとは考えなかった。

陶周風(とうしゅうふう)の告白と慕葉生との関係

翌日、張屏(ちょうへい)は目覚めると、手に『奇詭夜談』第五十回の原稿を握っていた。しかし、その筆跡は陶周風(とうしゅうふう)のものだった。この突然の発見に、張屏(ちょうへい)は動揺を隠せなかった。彼は慕葉生を文学の偶像として崇拝しており、二人が同一人物であることを受け入れられなかった。張屏(ちょうへい)は原稿を携えて蘭珏(らんかく)に助けを求め、邢獄司で陶周風(とうしゅうふう)と対峙した。張屏(ちょうへい)の問いかけに、陶周風(とうしゅうふう)はついに偽りを捨て、自分が慕葉生であることを認めた。彼は20年前、大理寺丞として摩蘿村天譴事件と惠安堂滅門事件の微妙な関連性を調査していたことを振り返った。その調査は、太后と二皮匠の秘密、そして高官の失踪と陰謀にまで及んでいた。家族と自身の安全を守るため、陶周風(とうしゅうふう)は執筆を諦め、慕葉生という名で身を隠していた。

鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)の狙いと陶周風(とうしゅうふう)の死

蘭珏(らんかく)は、鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)が陶周風(とうしゅうふう)を狙う理由は、彼が知りすぎていたためだと推測した。陶周風(とうしゅうふう)は20年間の逃亡生活を嘆き、ついに死を覚悟した。太后は『奇詭夜談』第五十回の内容を知ると、すぐに陶周風(とうしゅうふう)を殺害するよう命じた。張屏(ちょうへい)と蘭珏(らんかく)は必死に救出を試みるも、陶周風(とうしゅうふう)が自害するのを目の当たりにするしかなく、無力感と悲憤に包まれた。科挙不正、家族の確執、朝廷の権力闘争が絡み合った複雑な事件は、悲劇的な結末を迎え、世の中に尽きることのない反省とため息を残した。

第20話感想

第20話は、衝撃と悲しみに満ちた回でした。馬廉の罪と陳子殇の悲劇、そして鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)の目的が明らかになり、物語はさらに複雑さを増しました。

特に印象深かったのは、陶周風(とうしゅうふう)と慕葉生が同一人物であるという事実です。慕葉生を敬愛していた張屏(ちょうへい)の動揺は、視聴者にも痛いほど伝わってきました。また、陶周風(とうしゅうふう)が20年間も秘密を抱えながら生きてきた苦悩も胸を打ちます。

鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)の目的は、悪を暴き、罰を与えることでしたが、その方法が極端すぎて賛否が分かれるところです。張屏(ちょうへい)は、どんな理由があっても殺人は許されるべきではないと主張しますが、鏡(きょう)湖先生(きょうこせんせい)は、悪を根絶するためには時には暴力も必要だと考えているようです。

この対立は、正義とは何か、悪を罰するとはどういうことなのかという難しい問題を提起しています。答えは簡単に出るものではありませんが、このドラマは、私たちに深く考えさせるきっかけを与えてくれるでしょう。

つづく