1. 尚食局
第1話17分、方典膳はこう言います。「後宮には六局一司があります。すなわち、尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功、宮正司です。各局の主事はすべて正五品の女官であり、尚食局は孟尚食(もうしょうしょく)が主事としており、その下に司膳、司酝、司薬、四司があります。ここは司膳司であり、胡王姜徐の4人の司膳がおり、さらに典膳、掌膳が各4人、女使、宮婢が無数にいます。」その言葉は『明史』に記載されています。
2. 重陽の宴会
このドラマは、明成祖が3度目の北伐でアルタイを撃破した1422年、永楽20年から始まります。そして、第1話で描かれた緊迫感溢れる宴は、この北伐の凱旋を祝って開かれたものです。
永楽二十年九月乙卯朔車駕次榆林…癸亥重陽節賜文武群臣宴——『明実録・太宗実録・巻二百五十一』
3. 朱棣(しゅてい)が群臣を罰する
第1話で、朱棣(しゅてい)は太子に向かってこう言います。「朕は既に奏報を聞いている。礼部尚書呂震の婿、戸部主事張鶴が朝参に不適切な態度を取ったにもかかわらず、太子は曲意的に寛大に扱い、臣下を放任している。朕は実に失望した。」これは『明実録』に記載されています。
4. 楊士奇(よう しき)への夜間訪問
第2話では、朱瞻基(しゅせんき)が夜間に楊士奇(よう しき)を訪ねる場面がありますが、正史では朱瞻基(しゅせんき)が皇帝になってからのことです。
劇中では、楊士奇(よう しき)が「惟面北而拜」している様子が描かれており、朱瞻基(しゅせんき)も「士奇、朕在此」と言っています。
5. 天下太平
第2話で、姚子矜は王司膳に宮正司に入れられ、毎日夜に「天下太平」と叫ばされます。雨の日でもそうです。これは『酌中志』からの引用です。
6. 胡善祥(こぜんしょう):星気見奎婁
第2話で、胡善祥(こぜんしょう)と「長姐」の会話の中で、皇太妃が妃を選んだ時のことが語られます。その典拠は『勝朝彤史拾遺記』です。
7. 内訓
第2話で、尚食局は新入りの者に毎日、賢后の教えを朗読することを求めます。宮女の読書については『酌中志』に記述があります。
8. 静夜思
第2話で、蘇月平和孟尚食(もうしょうしょく)の会話の中で、李白的『静夜思』が登場します。その内容は現代版とは異なります。『静夜思』には主に2つのバージョンがあります。一つは、清朝の蘅塘退士が編纂した『唐詩三百首』に収録されている、現在最も広く流布しているバージョンです。もう一つは、宋朝の宋敏求が補刻した『李太白文集』に収録されている、現存する最古のバージョンです。
床前看月光、疑是地上霜。抬头望山月、低头思故郷。——宋版
床前明月光、疑是地上霜。举头望明月、低头思故郷。——清版
9. 太子の乗馬とダイエット
第2話の終わりと第3話の冒頭で、皇帝は太子に馬に乗るように命じ、最終的にはダイエットを命じます。『勝朝彤史拾遺記』に関連する記述があります。
10. 苦瓜鼠の絵
第3話で、朱瞻基(しゅせんき)と姚子矜は一緒に絵を描きます。その原型は宣宗朱瞻基(しゅせんき)が描いた『苦瓜鼠の絵』です。
11. 朱棣(しゅてい)の倹約
第4話で、朱瞻基(しゅせんき)と太子は火鍋を食べた後、皇帝に会いに行きます。皇帝の袖口が汚れているのを見て、皇帝はこう言います。「朕は四海を富ませ、毎日十着の服を着替えても構わない。しかし、孝慈皇后が生涯質素だったことを思い出すと、身外之物は考えられなくなる。」ここで、孝慈皇后とは馬皇后のことです。そして、この服は大臣たちに見せるためのものであり、一国の君主でさえこのようにしていることを知ってもらいたい、彼らも福を惜しむべきだと付け加えます。その典拠は『明実録』です。
12. 聖孫が兵士を懲罰する
第6話の終わりに、聖孫が皇帝に謁見した際、皇帝は朱瞻基(しゅせんき)が外出時に人々の土地を占拠した兵士を懲罰したことを知り、彼を称賛します。これは『明実録』からの引用です。
13. 朝鮮王朝の嘘
第7話の冒頭で、聖孫は皇帝に「厳刑逼供、二千余人を牽連、朱棣(しゅてい)が親自ら斬首を監督した」ことを伝えます。史料によると、この事件は『朝鮮実録』にのみ記載されており、他の史料には記載されていません。
14. 聖孫が奏報を読む
第8話で、皇帝は朱瞻基(しゅせんき)に一束の奏報を送り、その一部の内容は『明実録』からの引用です。劇中の胡器は確かに貴州按察使です。
15. 知與之為取
第8話で、殷紫萍(いんしへい)は寒風の中で一晩中跪いて、孟尚食(もうしょうしょく)に庖厨に入ることを懇願します。そこで殷紫萍(いんしへい)は「知與之為取」と言い、その後孟尚食(もうしょうしょく)も「世人皆知取之为取、而莫知与之为取。」と言います。
知與之為取、政之宝也。——西漢・司馬遷『史記・巻六十二・列伝第二:管晏列伝』
16. 賭爾焉
第8話で言及された「賭爾焉」はドリアンであり、確かにスマトラからの貢物です。
一等臭果あり、番名賭爾(烏)(焉)
17. バナナの葉を食器として使う
第9話で、朱瞻基(しゅせんき)は尚食局を「視察」し、バナナの葉を食器として使う国について言及します。これは『明史』の中で見つけることができます。
文郎馬神(この国の国名)… 初めはバナナの葉を食器として使用していたが、後に華人と交易するようになり、徐々に磁器を使用するようになった。——清・張廷玉『明史・巻三百二十三・列伝第二百十一:外国四』
18. 聖孫の昼食
第9話で、聖孫は姚子矜を怒らせて追い出した後、子矜が残した昼食のレシピを見ます。そこには「是月、殿下服補薬、不可餌大熱之物、宜早食。」と書いてあり、これは『千金月令』からの引用です。
19孟賢の謀反
第10話では、漢王妃が喘息を起こした後、孟賢が謀反を起こし、趙王朱高燧(しゅこうすい)が連座したというエピソードが語られています。このエピソードは、『明史』に記録されています。
20跌千金
第11話では、女官たちが木板を3回投げている様子が描かれています。また、鞭炮の音も聞こえていますが、これは火薬が隋唐時代に発明されたため、 anachronism となります。この遊びは「跌千金」と呼ばれています。また、聖孫が餃子を食べているシーンでは、餃子の中に3枚の銅板が入っていますが、袁公公は餃子を「扁食」と呼んでいます。これらのエピソードは、いずれも『酌中志』に収録されています。
21一統山河日月明
第12話で、皇帝は聖孫に端午の節句に毬を打ったり柳を射たりしたことを思い出させています。皇帝は「万方玉帛風雲会」、聖孫は「一統山河日月明」と述べていますが、このエピソードは『明実録』や『堯山堂外紀』などの史料に記録されています。
22彭城伯夫人
第12話では、張太子妃(ひしのかみ)の母である彭城伯夫人が登場します。彼女は胡皇后に不満を持っており、自分が選んだ少女、つまり劇中の姚子衿(ようしきん)である孝恭孫皇后について言及しています。史料によると、彭城伯夫人は孫皇后を「奇」とし、賢德であると評価し、張皇后は成祖にそのことを伝え、孫氏は入宮しました。その後、聖孫である朱瞻基(しゅせんき)が結婚することになり、選妃が行われましたが、司天の奏上により、最終的には済寧胡氏が正妃に冊封され、孫氏は嬪に留まりました。彭城伯夫人はこのことでしばしば張皇后に愚痴を言っていたとされています。劇中では、これらのエピソードが描かれています。
23韓庄妃の殉葬
第13話では、明初の殉葬制度の残忍さが描かれています。庄妃は死ぬ前に「母上、行ってきます。」と言い、「喜んで死にます。」と述べています。また、仁宗に「母を大切に育ててください。路頭に迷わせないでください。」と頼んでいます。庄妃の運命は、『朝鮮実録』に記録されている朱棣(しゅてい)の妃嬪である韓麗妃の運命と非常によく似ています。
24朱高熾(しゅこうち)の仁政
第14話で、朱棣(しゅてい)が崩御した後、太子は仁政を行います。劇中では、戸口の塩糧や未納の馬草柴炭を免除し、各地に逃亡した人々を赦免し、差徭を免除したとされています。また、朱瞻基(しゅせんき)が部屋に入ってきた後、各地の買い付けを廃止したことも語られています。具体的には、「西市の馬」と「雲南交趾の買い付け」が挙げられていますが、これらのエピソードはすべて『明実録』に記録されています。
25井泉
第15話で、孟尚食(もうしょうしょく)が朱高熾(しゅこうち)に井泉が南京に玉面狸を買い付けに行ったことを報告します。その後、皇帝は光禄寺(こうろくじ)を調査しますが、このエピソードは『明史』に記録されています。
26仁宗の伐採禁止令
第15話で、朱高熾(しゅこうち)は居庸関の東で伐採を禁止したというエピソードを語っています。これは、『明実録』に記録されています。
27張皇太后の懐妊
第13話と第14話で、朱高熾(しゅこうち)の皇后が「喜脈」と診断されますが、女司薬と盛寅だけが「滑胎」の可能性を指摘します。張皇后も自分が妊娠していないことを知っており、仁宗に真実を明かそうとしますが、これは郭貴妃の仕業であるとされています。しかし、『明史』によると、このエピソードは張皇后が太子妃(ひしのかみ)だった頃、つまり仁宗がまだ太子だった頃に起こったとされています。
28春蘭秋菊
第17話で、最初の料理として「春蘭秋菊」が登場しますが、劇中でも説明されているように、これは『乾淳歳時記』に収録されています。乾淳は宋孝宗の年号です。
29『王川図』
第17話で、蘇月華(そげつか)が『王川図』を盗み出し、胡尚食に「梵正」について言及しています。
30太祖の「僧」などの字を嫌う
第18話で、蘇月華(そげつか)が姚子衿(ようしきん)に自分の失敗の理由を尋ねた際、太祖が皇覚寺で僧侶をしていたというエピソードを語っています。これは、『明史』に記録されています。
31食療本草
第21話で、姚子衿(ようしきん)が衛(えい)王の咳を治すために凍梨を用いたというエピソードを語っていますが、これは『食療本草』に収録されています。
32丹青石漆
第21話で、梅少淵と朱瞻基(しゅせんき)の会話の中で、丹漆、石青などの顔料について言及されています。奸商がこれを機に価格を吊り上げたというエピソードは、『大明会典』に記録されています。
33傍林鮮
第22話で、胡尚食が筍を土に詰めて傍林鮮を作っていますが、朱瞻基(しゅせんき)は『山家清供』では傍林鮮は現地で食べる方が美味しいと述べています。
34太平什錦灌藕
第22話で、太子妃(ひしのかみ)が太平什錦灌藕という料理について言及していますが、これは『太平聖恵方』に収録されています。
35マスク
明の時代に、食事の際に宦官が「マスク」を着用していたという記録は、『沙哈魯遣使中国記』に記されています。
36洞庭饐、石子羹
第24話で、姚子衿(ようしきん)と梅少淵の会話の中で、洞庭饐という料理が登場しますが、これも『山家清供』に収録されています。
37蘇易簡の雪夜の酔い
第24話で、姚子衿(ようしきん)が蘇易簡の雪夜の酔いというエピソードを語っていますが、これも『山家清供』に収録されています。
38明仁宗の御製詩
第25話で、朱瞻基(しゅせんき)と姚子衿(ようしきん)の会話の中で、仁宗が東宮時代に曾子棨と将棋を指しながら詩を詠み合ったことが語られています。このエピソードは、複数の史料に記録されています。
39明仁宗による建文帝の奸臣の子孫の赦免
第25話で、姚子衿(ようしきん)は皇帝に建文帝の奸臣の子孫の悲惨な境遇を訴え、皇帝は彼らを赦免しました。このエピソードは、『明実録』に記録されています。
40張約斎の牡丹会
第27話で、張皇后の誕生日に、郭貴妃は姚子衿(ようしきん)が琴を弾いているのを見て、張約斎の牡丹会を思い出し、唐の詩人・裴潾の「別有玉盤承露冷」という詩を詠んでいます。
41郭貴妃の毒酒
第27話で、郭貴妃は皇后に毒を盛ろうとしましたが、皇帝が駆けつけて毒酒を飲み干してしまい、その後亡くなってしまいました。このエピソードは、野史に記録が残っています。
1. 尚食局
第1話17分、方典膳はこう言います。「後宮には六局一司があります。すなわち、尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功、宮正司です。各局の主事はすべて正五品の女官であり、尚食局は孟尚食(もうしょうしょく)が主事としており、その下に司膳、司酝、司薬、四司があります。ここは司膳司であり、胡王姜徐の4人の司膳がおり、さらに典膳、掌膳が各4人、女使、宮婢が無数にいます。」その言葉は『明史』に記載されています。
2. 重陽の宴会
このドラマは、明成祖が3度目の北伐でアルタイを撃破した1422年、永楽20年から始まります。そして、第1話で描かれた緊迫感溢れる宴は、この北伐の凱旋を祝って開かれたものです。
永楽二十年九月乙卯朔車駕次榆林…癸亥重陽節賜文武群臣宴——『明実録・太宗実録・巻二百五十一』
3. 朱棣(しゅてい)が群臣を罰する
第1話で、朱棣(しゅてい)は太子に向かってこう言います。「朕は既に奏報を聞いている。礼部尚書呂震の婿、戸部主事張鶴が朝参に不適切な態度を取ったにもかかわらず、太子は曲意的に寛大に扱い、臣下を放任している。朕は実に失望した。」これは『明実録』に記載されています。
4. 楊士奇(よう しき)への夜間訪問
第2話では、朱瞻基(しゅせんき)が夜間に楊士奇(よう しき)を訪ねる場面がありますが、正史では朱瞻基(しゅせんき)が皇帝になってからのことです。
劇中では、楊士奇(よう しき)が「惟面北而拜」している様子が描かれており、朱瞻基(しゅせんき)も「士奇、朕在此」と言っています。
5. 天下太平
第2話で、姚子矜は王司膳に宮正司に入れられ、毎日夜に「天下太平」と叫ばされます。雨の日でもそうです。これは『酌中志』からの引用です。
6. 胡善祥(こぜんしょう):星気見奎婁
第2話で、胡善祥(こぜんしょう)と「長姐」の会話の中で、皇太妃が妃を選んだ時のことが語られます。その典拠は『勝朝彤史拾遺記』です。
7. 内訓
第2話で、尚食局は新入りの者に毎日、賢后の教えを朗読することを求めます。宮女の読書については『酌中志』に記述があります。
8. 静夜思
第2話で、蘇月平和孟尚食(もうしょうしょく)の会話の中で、李白的『静夜思』が登場します。その内容は現代版とは異なります。『静夜思』には主に2つのバージョンがあります。一つは、清朝の蘅塘退士が編纂した『唐詩三百首』に収録されている、現在最も広く流布しているバージョンです。もう一つは、宋朝の宋敏求が補刻した『李太白文集』に収録されている、現存する最古のバージョンです。
床前看月光、疑是地上霜。抬头望山月、低头思故郷。——宋版
床前明月光、疑是地上霜。举头望明月、低头思故郷。——清版
9. 太子の乗馬とダイエット
第2話の終わりと第3話の冒頭で、皇帝は太子に馬に乗るように命じ、最終的にはダイエットを命じます。『勝朝彤史拾遺記』に関連する記述があります。
10. 苦瓜鼠の絵
第3話で、朱瞻基(しゅせんき)と姚子矜は一緒に絵を描きます。その原型は宣宗朱瞻基(しゅせんき)が描いた『苦瓜鼠の絵』です。
11. 朱棣(しゅてい)の倹約
第4話で、朱瞻基(しゅせんき)と太子は火鍋を食べた後、皇帝に会いに行きます。皇帝の袖口が汚れているのを見て、皇帝はこう言います。「朕は四海を富ませ、毎日十着の服を着替えても構わない。しかし、孝慈皇后が生涯質素だったことを思い出すと、身外之物は考えられなくなる。」ここで、孝慈皇后とは馬皇后のことです。そして、この服は大臣たちに見せるためのものであり、一国の君主でさえこのようにしていることを知ってもらいたい、彼らも福を惜しむべきだと付け加えます。その典拠は『明実録』です。
12. 聖孫が兵士を懲罰する
第6話の終わりに、聖孫が皇帝に謁見した際、皇帝は朱瞻基(しゅせんき)が外出時に人々の土地を占拠した兵士を懲罰したことを知り、彼を称賛します。これは『明実録』からの引用です。
13. 朝鮮王朝の嘘
第7話の冒頭で、聖孫は皇帝に「厳刑逼供、二千余人を牽連、朱棣(しゅてい)が親自ら斬首を監督した」ことを伝えます。史料によると、この事件は『朝鮮実録』にのみ記載されており、他の史料には記載されていません。
14. 聖孫が奏報を読む
第8話で、皇帝は朱瞻基(しゅせんき)に一束の奏報を送り、その一部の内容は『明実録』からの引用です。劇中の胡器は確かに貴州按察使です。
15. 知與之為取
第8話で、殷紫萍(いんしへい)は寒風の中で一晩中跪いて、孟尚食(もうしょうしょく)に庖厨に入ることを懇願します。そこで殷紫萍(いんしへい)は「知與之為取」と言い、その後孟尚食(もうしょうしょく)も「世人皆知取之为取、而莫知与之为取。」と言います。
知與之為取、政之宝也。——西漢・司馬遷『史記・巻六十二・列伝第二:管晏列伝』
16. 賭爾焉
第8話で言及された「賭爾焉」はドリアンであり、確かにスマトラからの貢物です。
一等臭果あり、番名賭爾(烏)(焉)
17. バナナの葉を食器として使う
第9話で、朱瞻基(しゅせんき)は尚食局を「視察」し、バナナの葉を食器として使う国について言及します。これは『明史』の中で見つけることができます。
文郎馬神(この国の国名)… 初めはバナナの葉を食器として使用していたが、後に華人と交易するようになり、徐々に磁器を使用するようになった。——清・張廷玉『明史・巻三百二十三・列伝第二百十一:外国四』
18. 聖孫の昼食
第9話で、聖孫は姚子矜を怒らせて追い出した後、子矜が残した昼食のレシピを見ます。そこには「是月、殿下服補薬、不可餌大熱之物、宜早食。」と書いてあり、これは『千金月令』からの引用です。
19孟賢の謀反
第10話では、漢王妃が喘息を起こした後、孟賢が謀反を起こし、趙王朱高燧(しゅこうすい)が連座したというエピソードが語られています。このエピソードは、『明史』に記録されています。
20跌千金
第11話では、女官たちが木板を3回投げている様子が描かれています。また、鞭炮の音も聞こえていますが、これは火薬が隋唐時代に発明されたため、 anachronism となります。この遊びは「跌千金」と呼ばれています。また、聖孫が餃子を食べているシーンでは、餃子の中に3枚の銅板が入っていますが、袁公公は餃子を「扁食」と呼んでいます。これらのエピソードは、いずれも『酌中志』に収録されています。
21一統山河日月明
第12話で、皇帝は聖孫に端午の節句に毬を打ったり柳を射たりしたことを思い出させています。皇帝は「万方玉帛風雲会」、聖孫は「一統山河日月明」と述べていますが、このエピソードは『明実録』や『堯山堂外紀』などの史料に記録されています。
22彭城伯夫人
第12話では、張太子妃(ひしのかみ)の母である彭城伯夫人が登場します。彼女は胡皇后に不満を持っており、自分が選んだ少女、つまり劇中の姚子衿(ようしきん)である孝恭孫皇后について言及しています。史料によると、彭城伯夫人は孫皇后を「奇」とし、賢德であると評価し、張皇后は成祖にそのことを伝え、孫氏は入宮しました。その後、聖孫である朱瞻基(しゅせんき)が結婚することになり、選妃が行われましたが、司天の奏上により、最終的には済寧胡氏が正妃に冊封され、孫氏は嬪に留まりました。彭城伯夫人はこのことでしばしば張皇后に愚痴を言っていたとされています。劇中では、これらのエピソードが描かれています。
23韓庄妃の殉葬
第13話では、明初の殉葬制度の残忍さが描かれています。庄妃は死ぬ前に「母上、行ってきます。」と言い、「喜んで死にます。」と述べています。また、仁宗に「母を大切に育ててください。路頭に迷わせないでください。」と頼んでいます。庄妃の運命は、『朝鮮実録』に記録されている朱棣(しゅてい)の妃嬪である韓麗妃の運命と非常によく似ています。
24朱高熾(しゅこうち)の仁政
第14話で、朱棣(しゅてい)が崩御した後、太子は仁政を行います。劇中では、戸口の塩糧や未納の馬草柴炭を免除し、各地に逃亡した人々を赦免し、差徭を免除したとされています。また、朱瞻基(しゅせんき)が部屋に入ってきた後、各地の買い付けを廃止したことも語られています。具体的には、「西市の馬」と「雲南交趾の買い付け」が挙げられていますが、これらのエピソードはすべて『明実録』に記録されています。
25井泉
第15話で、孟尚食(もうしょうしょく)が朱高熾(しゅこうち)に井泉が南京に玉面狸を買い付けに行ったことを報告します。その後、皇帝は光禄寺(こうろくじ)を調査しますが、このエピソードは『明史』に記録されています。
26仁宗の伐採禁止令
第15話で、朱高熾(しゅこうち)は居庸関の東で伐採を禁止したというエピソードを語っています。これは、『明実録』に記録されています。
27張皇太后の懐妊
第13話と第14話で、朱高熾(しゅこうち)の皇后が「喜脈」と診断されますが、女司薬と盛寅だけが「滑胎」の可能性を指摘します。張皇后も自分が妊娠していないことを知っており、仁宗に真実を明かそうとしますが、これは郭貴妃の仕業であるとされています。しかし、『明史』によると、このエピソードは張皇后が太子妃(ひしのかみ)だった頃、つまり仁宗がまだ太子だった頃に起こったとされています。
28春蘭秋菊
第17話で、最初の料理として「春蘭秋菊」が登場しますが、劇中でも説明されているように、これは『乾淳歳時記』に収録されています。乾淳は宋孝宗の年号です。
29『王川図』
第17話で、蘇月華(そげつか)が『王川図』を盗み出し、胡尚食に「梵正」について言及しています。
30太祖の「僧」などの字を嫌う
第18話で、蘇月華(そげつか)が姚子衿(ようしきん)に自分の失敗の理由を尋ねた際、太祖が皇覚寺で僧侶をしていたというエピソードを語っています。これは、『明史』に記録されています。
31食療本草
第21話で、姚子衿(ようしきん)が衛(えい)王の咳を治すために凍梨を用いたというエピソードを語っていますが、これは『食療本草』に収録されています。
32丹青石漆
第21話で、梅少淵と朱瞻基(しゅせんき)の会話の中で、丹漆、石青などの顔料について言及されています。奸商がこれを機に価格を吊り上げたというエピソードは、『大明会典』に記録されています。
33傍林鮮
第22話で、胡尚食が筍を土に詰めて傍林鮮を作っていますが、朱瞻基(しゅせんき)は『山家清供』では傍林鮮は現地で食べる方が美味しいと述べています。
34太平什錦灌藕
第22話で、太子妃(ひしのかみ)が太平什錦灌藕という料理について言及していますが、これは『太平聖恵方』に収録されています。
35マスク
明の時代に、食事の際に宦官が「マスク」を着用していたという記録は、『沙哈魯遣使中国記』に記されています。
36洞庭饐、石子羹
第24話で、姚子衿(ようしきん)と梅少淵の会話の中で、洞庭饐という料理が登場しますが、これも『山家清供』に収録されています。
37蘇易簡の雪夜の酔い
第24話で、姚子衿(ようしきん)が蘇易簡の雪夜の酔いというエピソードを語っていますが、これも『山家清供』に収録されています。
38明仁宗の御製詩
第25話で、朱瞻基(しゅせんき)と姚子衿(ようしきん)の会話の中で、仁宗が東宮時代に曾子棨と将棋を指しながら詩を詠み合ったことが語られています。このエピソードは、複数の史料に記録されています。
39明仁宗による建文帝の奸臣の子孫の赦免
第25話で、姚子衿(ようしきん)は皇帝に建文帝の奸臣の子孫の悲惨な境遇を訴え、皇帝は彼らを赦免しました。このエピソードは、『明実録』に記録されています。
40張約斎の牡丹会
第27話で、張皇后の誕生日に、郭貴妃は姚子衿(ようしきん)が琴を弾いているのを見て、張約斎の牡丹会を思い出し、唐の詩人・裴潾の「別有玉盤承露冷」という詩を詠んでいます。
41郭貴妃の毒酒
第27話で、郭貴妃は皇后に毒を盛ろうとしましたが、皇帝が駆けつけて毒酒を飲み干してしまい、その後亡くなってしまいました。このエピソードは、野史に記録が残っています。