玉骨遥 第28話 あらすじ/ネタバレ

緊張感漂う雰囲気の中、止淵(しえん)は蘇摩(そま)に海皇(かいこう)としての自身の正体と龍神(りゅうしん)大人から託された重い使命を告白する。しかし、蘇摩(そま)の心は海国(かいこく)軍への恨みで溢れていた。彼は海国(かいこく)軍が母を殺したと信じており、海皇(かいこう)になることに強い抵抗を示す。澗長老(かんちょうろう)の接近を感じ取った止淵(しえん)は、蘇摩(そま)を連れて安全な場所へ避難することを決意する。

一方、時影(じえい)は歸邪星の導きでこの地にたどり著き、止淵(しえん)が蘇摩(そま)を連れ去ろうとする場面を目撃する。止淵(しえん)の体に浮かび上がる龍紋を見た時影(じえい)は、彼が真の海皇(かいこう)だと誤解する。止淵(しえん)は蘇摩(そま)を守るため、その身分を背負うことを承諾する。時影(じえい)の問いかけに対して、止淵(しえん)は言葉にできない事情があると説明し、時影(じえい)の信頼を請い、遁水の術を使って蘇摩(そま)と共にその場を去る。時影(じえい)は疑問を抱きながらも、止淵(しえん)を信じることを選び、後に歸邪星の真偽を確かめることを決意する。

青罡(せいこう)は海皇(かいこう)軍を追跡する途中、時影(じえい)と遭遇する。二人は言葉を交わし、青罡(せいこう)は時影(じえい)の苦悩と事情を知る。そして、時影(じえい)を軍営に招き、時雨(じう)との再会を促す。兄弟の再会を果たした時雨(じう)は、世事への無力感と倦怠感を露わにする。彼は世子(せいし)になる資格がなく、自由な生活を望んでいると告白する。時影(じえい)は時雨(じう)を励まし、帝王の才は勇猛さではなく、人を知る能力にあると強調し、時雨(じう)が名君になれると信じる。

軍営を後にした時影(じえい)は空桑(くうそう)を去ろうとするが、朱顔(しゅがん)は青妃(せいひ)に宮中に呼び出され、二人が駆け落ちしようとしているという噂を耳にする。激怒した時影(じえい)はすぐに宮殿に入り、青妃(せいひ)に朱顔(しゅがん)への無端な非難と脅迫に対して怒りをぶつける。激しい口論の中で、時影(じえい)は読心術を使って青妃(せいひ)の陰謀を暴き、北冕(ほくべん)帝の突然の出現で場は一触即発の状態となる。北冕(ほくべん)帝の時影への冷淡さと罰は、朱顔(しゅがん)の心を痛める。彼女は身を挺して罰を受け、師匠の安全を願う。

朱顔(しゅがん)の犠牲と愛情に心を動かされた時影は、自分の気持ちに向き合い、朱顔(しゅがん)を一生大切にすると約束する。夜が更け、時影は大司命(だいしめい)に海皇(かいこう)の件を告白し、真相を明らかにするために尽力することを伝える。大司命(だいしめい)は時影が紅塵に戻ることを望むが、時影は朱顔(しゅがん)のために神袍を脱ぎ捨て、自由気ままに生きたいと決意する。彼は神袍を脱いでも朝政に幹渉することはないと断言し、自分の心に従って生きたいと願う。

赤王(せきおう)と赤妃(せきひ)は朱顔(しゅがん)の遭遇に心を痛め、彼女がこれを教訓にして慎重になることを願う。時影の訪問は朱顔(しゅがん)に慰めと薬をもたらす。彼は自分のせいで朱顔(しゅがん)を巻き込んだことを悔やみ、薬を飲ませる。二人が深い会話を交わす中、時影は海皇(かいこう)の身分に対する見解と懸念を明かす。朱顔(しゅがん)は独自の視点から、止淵(しえん)の善良さと平和への意誌を信じ、時影に止淵(しえん)と対話し、雲荒(うんこう)の平和な未来のために協力することを勧める。最後に、時影は朱顔(しゅがん)に自分の居場所を伝え、雲荒(うんこう)の運命を左右する対話を止淵(しえん)と始める意思を表明する。

第28話の感想

第28話は、緊張感と感動が詰まった素晴らしいエピソードでした。止淵(しえん)と蘇摩(そま)の複雑な関係、時影と朱顔(しゅがん)の揺れ動く気持ち、そして青罡(せいこう)と時雨(じう)の兄弟愛など、様々な人間ドラマが描かれていました。

特に印象的だったのは、止淵(しえん)と蘇摩(そま)のシーンです。海皇(かいこう)としての使命と蘇摩(そま)への愛情の間で葛藤する止淵の姿は、切なくも美しいものでした。また、蘇摩(そま)の止淵に対する複雑な感情も丁寧に描かれており、二人の関係の行く末が気になります。

時影と朱顔のシーンも、見応えがありました。青妃(せいひ)の陰謀に巻き込まれた朱顔を守るため、時影が自分の気持ちを告白するシーンは、とても感動的でした。また、時影が神袍を脱ぎ捨て、朱顔と共に自由な人生を歩む決意をするシーンも、二人の強い絆を感じさせるものでした。

青罡(せいこう)と時雨(じう)のシーンも、心に響くものでした。世子(せいし)としての重圧に苦しむ時雨(じう)を、青罡(せいこう)が温かく励ますシーンは、兄弟愛を感じさせました。また、時雨(じう)が世子(せいし)としての責任を受け入れ、未来に向かって歩み始めるシーンは、希望を感じさせるものでした。

つづく