葉紅魚(よう・こうぎょ)は寧缺(ねい・けつ)との交渉を終えると、急ぎ莫山山(ばく・さんさん)のもとへ別れを告げに行った。西陵(せいりょう)への帰還を焦る彼女の心は重かった。莫山山(ばく・さんさん)は掌教(しょうきょう)熊初墨の行いを強く非難し、偽善的な侵略によって唐の民が苦しんでいると訴えた。しかし、葉紅魚(よう・こうぎょ)は揺るがず、“天道”を守ると主張し、莫山山(ばく・さんさん)の不敬を責めた。両者の意見は真っ向から対立し、莫山山(ばく・さんさん)は戦争こそ“天道”に仮すると指摘する一方で、葉紅魚(よう・こうぎょ)は唐が光明を冒涜した報いだと断じた。桑桑(そうそう)については、寧缺(ねい・けつ)を殺さなかったのは、彼に喪失の苦しみを与えたくなかったからだと明かした。そう言うと、葉紅魚(よう・こうぎょ)は去り、莫山山(ばく・さんさん)は一人残された。
一方、隆慶は復縁を望んで陸晨迦を訪ねるも、冷たく拒絶されてしまう。彼女の断固とした態度に、隆慶は深く傷つきながらも、諦めざるを得なかった。莫山山(ばく・さんさん)は寧缺(ねい・けつ)と最後の別れをするため、初めて出会った場所に彼を呼び出した。沈み込んだ寧缺(ねい・けつ)は言葉少なで、莫山山(ばく・さんさん)はこれまでの思い出を振り返り、複雑な気持ちになった。ついに彼女は別れを決意し、寧缺(ねい・けつ)の引き止めも彼女の決意を変えることはできなかった。去り際、莫山山(ばく・さんさん)は振り返り、大河国で寧缺(ねい・けつ)と桑桑(そうそう)の帰りを待つと約束した。寧缺(ねい・けつ)は彼女の遠ざかる背中を見送り、胸を締め付けられた。
それからというもの、寧缺(ねい・けつ)は桑桑(そうそう)を失った悲しみに暮れ、毎日馬車の中で酒に溺れ、残されたわずかな気配から桑桑(そうそう)の面影を探し求めた。大黒馬の姿が見えないことから、桑桑(そうそう)が一緒にいるのではないかと疑念を抱いた。夢の中で桑桑(そうそう)が優しく戻ってきて、束の間の安らぎを与えてくれるが、目覚めると空虚感と喪失感だけが募る。寧缺(ねい・けつ)は桑桑(そうそう)に会うため、天涯海角まで探し回ると誓った。
その頃、桑桑(そうそう)は普通の少女の姿で人間界に現れ、天女(てんにょ)に人間界の生活を体験させていた。天女(てんにょ)は馴染めない様子だったが、桑桑(そうそう)に促され、渋々麺を口にした。しかし、彼女の心は天界への帰還ばかりを考えていた。桃山に戻ると、天女(てんにょ)は身分を明かし、人々の崇拝を受けた。そして、熊初墨を掌教(しょうきょう)に留任させ、光明会を準備し、人間の情を断ち切り、天に帰ることを宣言した。
寧缺(ねい・けつ)の夢と現実は交錯し、桑桑(そうそう)が戻ってくる夢を見るものの、すぐに消えてしまう。師兄李慢慢(り・まんまん)の説得もあり、寧缺(ねい・けつ)は西陵(せいりょう)へ行き、真実を確かめる決意をした。彼は桑桑(そうそう)が生きており、天女(てんにょ)と深い関係があると確信していた。危険な旅だと知りながらも、天女(てんにょ)の帰還が唐にもたらすであろう災いを防ぐため、寧缺(ねい・けつ)はためらうことなく西陵(せいりょう)へ向かった。書院(しょいん)では、師兄師姐たちに別れを告げ、多くの別れを惜しむ声と心配を受けながらも、西陵(せいりょう)への旅路についた。皆、彼の危険を案じながらも、その決意を尊重し、彼を助けるための計画を立てることにした。
第37話の感想
第37話は、喪失感、決意、そして新たな展開が交錯する、非常に重厚なエピソードでした。寧缺と桑桑(そうそう)の別れは、見ている側も胸が締め付けられるような切なさで、寧缺の悲しみは深く心に響きました。愛する者を失った虚無感、残されたわずかな希望にしがみつく姿は、人間の弱さと強さを同時に表現していたと思います。特に、大黒馬の行方と桑桑(そうそう)の不在を結びつける彼の推察は、悲しみゆえの希望の光であり、視聴者の心を揺さぶりました。
対照的に、天女(てんにょ)の人間界体験はどこか滑稽で、天界とのギャップが際立っていました。桑桑(そうそう)の優しさに触れながらも、天界への帰還を望む天女(てんにょ)の態度は、人間の世界を理解しようとしない傲慢さを露呈しています。熊初墨を再び掌教(しょうきょう)に任命する場面は、今後の波乱を予感させ、物語の緊張感を高めました。
葉紅魚(よう・こうぎょ)と莫山山(ばく・さんさん)の対立、隆慶の失恋など、それぞれのキャラクターの心情が丁寧に描かれており、感情移入しやすい展開でした。特に、莫山山(ばく・さんさん)が寧缺との別れ際に大河国で待つと約束するシーンは、彼女の優しさと芯の強さが表れていて印象的でした。
つづく