両不疑 ~入れ替わり夫婦の宮廷生存記~ 第1話 あらすじ/ネタバレ

出会いから結婚まで、甘い時期も喧嘩も、気遣いと理解もあったのに、ついに離婚の危機を迎えてしまった。もしも立場を交換して互いに理解できれば、きっと多くの誤解が解けるだろう。そんな思いを胸に、作者は筆を走らせ『恩愛両不疑』という物語を描き始めた。

舞台は文治城。大晟城主夫人・徐鈺(シュー・ユー)は、父の帰還を聞きつけ、大臣の衣服に著替えて面会しようと城を抜け出した。徐鈺(シュー・ユー)と文治帝・蕭錦昀(シャオ・ジンユン)が結婚して以来、徐(シュー)父は辺境に赴任しており、3年ぶりの再会に徐鈺(シュー・ユー)は父の老いた姿に心を痛める。

城主・蕭錦昀(シャオ・ジンユン)は猜疑心が強く、特に軍功を重ねた徐(シュー)父に対して警戒心を抱いていた。朝議で徐(シュー)父が提案した策を蕭錦昀(シャオ・ジンユン)は無視し、他の大臣からも非難を浴びる。徐鈺(シュー・ユー)は我慢できずに父を庇うが、城主夫人が大臣の格好で朝議に乱入したことで大騒ぎとなる。徐(シュー)父は謝罪し、徐鈺(シュー・ユー)の代わりに罰を受けようとするが、蕭錦昀(シャオ・ジンユン)は徐鈺(シュー・ユー)を主母の元に連行し、退朝する。

朝議の騒動は後宮にも波紋を広げ、貴妃・裴心竹(ペイ・シンジュク)は徐鈺(シュー・ユー)の失態により自分が皇后になれると期待し、他の妃たちと共に主母のもとへ様子を見に行く。

主母は城主夫人である徐鈺(シュー・ユー)を叱責し、正室の座を明け渡すよう迫る。しかし徐鈺(シュー・ユー)は蕭錦昀(シャオ・ジンユン)が自ら離縁を言い渡さない限り、城主夫人であり続けると譲らない。主母は激怒し、徐鈺(シュー・ユー)は蕭錦昀(シャオ・ジンユン)のもとへ向かう。

裴心竹(ペイ・シンジュク)は主母の姪であり、この騒動を煽り立てるが、主母に叱責される。この内宮では他人を陥れるよりも、自分自身を高めることが重要であり、母は子のためにこそ存在するのだ。普段から皆に慕われている徐鈺(シュー・ユー)のために、蕭錦昀(シャオ・ジンユン)の側近たちも彼女を庇う。

蕭錦昀(シャオ・ジンユン)は離縁せずに事態を収拾できないと考え、その頃、徐(シュー)父は外敵の侵攻を知らせ、すぐに城を出て備戦すると告げる。しかし娘のことが気がかりだった。蕭錦昀(シャオ・ジンユン)は先ほどの考えを捨て、徐鈺(シュー・ユー)は殿外で父と再会を果たす。徐(シュー)父は辺境で見つけた珠を徐鈺(シュー・ユー)に渡し、娘からのお守りを受け取る暇もなく去っていく。

蕭錦昀(シャオ・ジンユン)は徐鈺(シュー・ユー)に内宮で過ごすよう命じ、主母の元へ向かう。蕭錦昀(シャオ・ジンユン)に子がいないことは主母の悩みであり、選秀女の開催を提案する。

徐鈺(シュー・ユー)は庭で剣の稽古に励み、その姿は蕭錦昀(シャオ・ジンユン)の心を和ませる。蕭錦昀は冊子を持ち、徐鈺(シュー・ユー)に選秀女選びを手伝ってほしいと頼む。しかし徐鈺(シュー・ユー)は皮肉を込めて話し、一時の感情に任せて蕭錦昀を池に突き落としてしまう。

我に返った徐鈺(シュー・ユー)は慌てて蕭錦昀を助け出し、口移しで息を吹き込む。

目を覚ました徐鈺(シュー・ユー)は、自分が蕭錦昀の身体になっていることに気づく。主母がそばで介抱しており、徐鈺(シュー・ユー)は慌てて主母を追い払う。夢ではないことを確認した徐鈺(シュー・ユー)は呆然とする。

裴心竹(ペイ・シンジュク)は蕭錦昀が目を覚ましたと聞き、泣きながら駆けつける。徐鈺(シュー・ユー)は裴心竹(ペイ・シンジュク)が飛びかかろうとする姿を見て、祈願に行くよう命じる。

一方、蕭錦昀は徐鈺(シュー・ユー)の身体になっていることに気づき、主母と自分の身体が迫ってくる。

第1話の感想

第1話は、徐鈺(シュー・ユー)と蕭錦昀の夫婦関係の危機から始まり、徐鈺(シュー・ユー)が蕭錦昀の身体に、蕭錦昀が徐鈺(シュー・ユー)の身体に入れ替わるという衝撃的な展開で幕を閉じます。

徐鈺(シュー・ユー)と蕭錦昀は、お互いへの誤解や猜疑心が原因で、離婚の危機に陥っています。しかし、入れ替わりによってお互いの立場を理解することで、徐々に分かり合っていく様子が描かれています。

特に印象的なシーンは、徐鈺(シュー・ユー)が蕭錦昀の身体になってから、裴心竹(ペイ・シンジュク)が迫ってきた際に、徐鈺(シュー・ユー)が裴心竹(ペイ・シンジュク)を突き放すシーンです。このシーンは、徐鈺(シュー・ユー)が蕭錦昀の身体になっても、自分の意誌を貫こうとする強さと、蕭錦昀への愛情を感じさせます。

また、蕭錦昀が徐鈺(シュー・ユー)の身体になってから、主母と自分の身体が迫ってきた際に、蕭錦昀が戸惑う様子も印象的です。このシーンは、蕭錦昀が徐鈺(シュー・ユー)の身体になっても、自分の身体に対する意識が薄れていないことを示唆しています。

つづく