感想·評価一覧
テレビドラマ『ミーユエ 王朝を照らす月』を観て、特に印象に残ったのは羋姝の変貌ぶりです。楚の嫡公主として育った彼女は、当初、天真爛漫で妹の羋月を深く思いやる優しい女性でした。しかし、秦の王后となり、母となることで、彼女はまるで別人へと変わっていきます。
物語の序盤、羋姝は“お姫様”然とした振る舞いで、宮廷の複雑な人間関係や権力争いには無頓着な様子でした。秦王への愛は深く、羋月との姉妹愛も揺るぎないものに見えましたが、それはある意味、世間知らずの純粋さの裏返しでもありました。
転機となったのは、秦と楚の関係悪化、そして彼女自身の妊娠です。祖国と夫の間で板挟みになり、秦王からの叱責を受けたことで、彼女は初めて自分の無力さを痛感します。そして、お腹の子を守るためには、自らが強くなる必要があると悟るのです。
妊娠を境に、羋姝の内に秘められていた知略が徐々に開花していきます。彼女は周囲の状況を冷静に見極め、媵女を利用して秦王の寵愛を操ろうとするなど、したたかさを身に付けていきます。まるで、母性が彼女の知性を呼び覚ましたかのようです。
妹の羋月に対しても、以前のような無償の愛ではなく、計算が垣間見えるようになります。表面的には姉妹の情を保ちつつも、内心では権力争いのライバルとして意識し始めるのです。この変化は、視聴者として非常に複雑な感情を抱かせます。
羋姝の物語は、単なる権力闘争のドラマではありません。一人の女性が、母性と権力の間で葛藤し、成長していく姿を描いた人間ドラマです。彼女は悪女なのでしょうか?それとも、ただ必死に生き抜こうとした女性なのでしょうか?その答えは、きっと観る人それぞれの中にあるのでしょう。彼女の変化は、私たちに「もし自分が同じ立場だったら…」と考えさせ、人間の心の奥深さを改めて感じさせてくれます。
双星伴月の夜、古式の復活を迫る臣下たちの声に苛立ちを隠せない秦王。その誕生日を祝おうと、羋姝は心を尽くして宴を準備する。楚の華やかな宮廷文化とは異なる、秦の質素な風習に配慮しながらも、歌や踊り、贈り物に至るまで、彼女の細やかな気遣いが窺える。まるで、夫の心を慰めようと、不安な夜空に灯をともすかのように。
しかし、羋姝の純粋な想いは、秦王には届かなかった。冷淡な態度で宴に出席した彼は、故人との会見を口実に、羋月だけを伴って席を立つ。祝いの席は、主役の不在によって、まるで白昼夢のように儚く崩れ去る。残された羋姝の胸には、空虚感と、拭いきれない屈辱だけが渦巻いていた。
この一件は、秦王にとって羋月がいかに特別な存在かを如実に物語っている。王后である羋姝よりも、羋月との間に流れる親密さ、信頼感は、まるで深い渓谷を隔てるかのように、彼女を孤独に追いやる。孟昭氏や玳瑁の言葉は、まるで塩を塗るように羋姝の心を傷つけるが、彼女は驚くほど冷静に事態を受け止める。それは、諦めにも似た、静かな悲しみだった。
それでもなお、羋姝は秦王への愛を失わない。彼の冷淡さ、不義理さえも、大きな愛で包み込もうとする。その姿は、健気で、そして痛々しいほどに美しい。まるで、満月の光に照らされながらも、影を落とす月夜の花のように。
秦王は、後から羋姝に贈り物をすることで償おうとするが、一度ついた心の傷はそう簡単に癒えるものではない。この出来事は、二人の間に深い溝を作ってしまった。 これからの物語の中で、羋姝の愛がどのように変化していくのか、そして、秦王の真意はどこにあるのか、見守っていきたい。